自分とは何か?
人は生まれながらにして平等である、
しかし、その後は性差別と格差社会の中で
生きているのである。
と、ここまでが前回の話でしたが、
平等であるべき人間が、
なぜ、いつの時代のどんな社会から
身分差別や階級格差を
当たり前のように受け入れ
生きているのであろうか?
今日はその事について考えてみよう
差別や格差を生む世の中、
その世の中を作り上げているのもまた、
貴方であり君である。
その事を忘れないようにしないと、
自分の身の上に起こる悲劇を
周りの人のせいにしたり、
逆に自己責任論に浸りまくって
諦めの人生を送る事になる。
昔『猿が人間になるについての労働の役割』
フリードリッヒ・エンゲルス(自然の弁証法)
と言う本がありました。
猿から人間に変化する生物の進化過程を
分析した本です。
要約すると、
直立歩行が手を自由にし
手が道具を作り火を扱う
集団生活と言語と労働
脳の持続的発達
と続いています。
木のぼりをする猿の群れから
人間社会が生まれてくるまでには
数十万年と言う長い長い時を経て
進化を続けます。
ついには、脳の発達は・・・
空想的映像である宗教を生み出し
脳が生み出す観念が社会を支配し
種族からは民族と国家が派生してゆく
いつの間にか、
人間の成長進化と発展に寄与した
「労働」の「役割」が忘れられ、
文明の急速な進展は、
頭脳の功績(人を支配し働かせる)に置き換えられ、
観念論的イデオロギーが支配する時代と社会が、
今日まで綿々と続くのであります。
とは言っても、
猿から人間の進化、数十万年に比べれば
ほんの一瞬!
わが国では
侍の時代が終わって僅か152年です。
このくびきから飛び出し
正しく社会を見るためには
イデオロギーに支配されることなく
「自分とは何か」「社会とは何か」
歴史を観念論ではなく
歴史の弁証法=史的唯物論で検証し、
時代・社会を再認識するところから
始めなければ答えは見つからないのでは?
と考えました。
この続きは次回迄! 一休み
格差拡大の現代について
自己責任なのか見つめ直しておきましょう。
つづく